私たち夫婦は新規就農者です。初めて春野を訪れたとき、雄大な山並みを背景に、斜面に広がる美しい茶畑の景観に感動しました。転げ落ちそうな土手の斜面はきれいに草刈が行き届き、家の前の自給畑には多品目の野菜が丁寧に植えられています。こんな不便な山奥でも、こうしてその地に根付いて暮らしている人たちがいる。日本を支えてきたのは名高い学者や大企業家ではなく、こうしてつつましく暮らしてきた人たちではないかという思いがしました。  
 しかし、こういった山間の集落は、消えつつあります。しかも、これは春野だけでなく、日本の各地で起こっていることです。長い間、綿々と営まれてきた山間地の暮らしを、過疎化とともに見捨ててしまうのは、自然と共生しながら生きてきた僕たち人間にとって、取り返しのつかない損失になるのではないかと思っています。
 山間地の農業、山間地の暮らしを持続可能なものにしていかなければなりません。 そのためにはまず、若い人が地元に残る、あるいは僕たちのように外から入ってくることが急務です。
 私たちの使命の一つに、「新規就農者でも地域に馴染み、経済的にも自立できる」ということを世間に示すことだと思っています。
 そのために、新規就農者向けの補助金ももらわず、とにかく自分の足で立つことを目指しています。 そして、なるべく自然に負荷をかけない暮らし方を求め、バイオトイレや薪ボイラー・太陽熱温水器を駆使して、忙しく暮らしています(田舎でのんびり、は幻想だと就農してようやく気づきました)。

  私たちの農業の柱になっているのが「お茶」です。
 有機栽培を個人でやっている農家はたくさんあるとは思いますが、私たちのように、「集落全体で有機栽培茶に取り組んでいる」例は少ないと思います。集落みんなで有機茶を育て、収穫し、共同の茶工場に運び込み、一緒になって加工されます。こうして「みんなのお茶」が出来上がります。こうした恵まれた場所に出会い、仲間に入れてもらえたことは、実に幸運だったと思っています。

 山は斜面が多く、平地のように大規模に茶園を管理することはできません。私の茶園も、ポツリポツリと、小さい面積の茶園が8か所くらいに分かれています。それでも、規模が小さいなりに、手間を惜しまず、高品質のお茶を作ることに専念しています。
 みんなで作る煎茶の他に、うの茶園オリジナルの「紅茶」や「ウーロン茶」、機械化・効率化に押されて近年では見ることの少なくなった「手摘みのお茶」も作っています。
 
一昔前までは、田植えをはじめとして、農業といえば共同作業だったのですが、機械化が進み、田植えなど一人で週末に終わらせてしまうのが現在です。「機械化」「効率化」なんとなく心の寂しさを覚えますが、時代の流れであったことも確かです。
 「米」が日本の食を担うのであれば、「茶」は日本の心を担う、そんな産業にしていきたいものです。

自己紹介

宇野大介
昭和54年生まれ

出身は静岡県伊東市。京都大学農学部H10入学。大学時代に農業交流ネットワークというサークルに入り、京都を中心に日本各地の農家を訪ねる。大学院はアジア・アフリカ地域研究研究科に進み、アフリカ南部ナミビア共和国においてフィールドワークを行う。アフリカでの体験は、今の生活を目指す一つのきっかけになった。当初は農業へ足を踏み出す勇気はなかったが、妻に背中を押されて就農することに。


宇野まどか
旧姓:加古
昭和58年生まれ

出身は愛知県知多市。京大農学部H14入学。同様に、農業交流ネットワークに入り、将来の旦那と出会う。中学生の時から、将来の夢は農業、と決めていた。芯も強く、正当論を振りかざす。あまりにもごもっともな意見なので、旦那はいつも反論の余地なし。


宇野せいた

生まれも育ちも春野町。集落で唯一の幼稚園児で、元気いっぱい。同級生の友達よりも、おじいちゃんおばあちゃんの友達の方が多い。働く親の背中を見て、この後どう育つ?